甲子園決勝戦に先立って始球式が行われました。
始球式は広島商業で全国制覇をした元広島東洋カープの達川光男氏。
第55回大会で優勝に貢献しています。
2019夏の甲子園大会決勝戦の始球式

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決勝の始球式は #広島商 OBの #達川光男 さんでした。「こんな機会はもうない。よく足が震えると言うが、肩が震えた」と笑顔で話しました。(達)#甲子園決勝 #履正社VS星稜 #甲子園 #広島カープ #カープ pic.twitter.com/fj6ii3WzL4
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始球式は!達川さん pic.twitter.com/cU2gnqD3kK— カンカン【全力じじぃ】 (@1pintandoku) August 22, 2019
達川氏の肩は健在です。
とても肩のいいキャッチャーだった達川さん。
久しぶりの甲子園球場ではどんな想いがあったのでしょうか。
達川光男氏の始球式後コメント

「奥川君には『最後だから頑張ってください』と言いました。山瀬君には『頑張れ』と。奥川君には三顧の礼をつくして。山瀬君は(同じ捕手で)同業者じゃから」
「こんな機会はもうない。よく足が震えると言うが、肩が震えた」
「ぼくらは江川(卓)世代で育った。今日、勝っても負けても奥川世代になると思うが、その投手を目標に負けられないとがんばる。そういうところも高校野球のいいところだと思う」
「本来は私が投げるべきではない。佃の代わりに来ました。佃に教えられたのは、捕手とは投手を孤独にさせてはいけないということ。ある試合で私が元気がなかったとき、佃がマウンドから歩いてきて『ボールを呼んでくれ。お前が呼んだところに投げたい。お前が頼りなんじゃ』と言ってくれた。きょう、その意味がよくわかりました」
佃投手は2007年に亡くなられています。
マウンドの上でかつての相棒を想い出していたようですね。
達川光男のプロフィール

- 名前:達川 光男(たつかわ みつお)
- 生年月日:1955年7月13日
- 年齢:64歳
- 出身:広島市
- 職業:野球解説者
- 出身校:広島商業高校→東洋大学
- プロ野球選手経歴:広島東洋カープ(1978-1992)
- 監督・コーチ歴:福岡ダイエーホークス(1995)、広島東洋カープ(1998-2000)、阪神タイガース(2003)、中日ドラゴンズ(2014-2015)、福岡ソフトバンクホークス (2017 – 2018)
達川光男の甲子園成績(広島商業)

1973年の甲子園は作新学院の江川卓が登場し、注目されていました。
春の選抜大会(1973年)
- 準決勝:作新学院(エース江川卓)に勝利
- 決勝:横浜高に敗れ準優勝
夏の選手権大会(1973年)
広島商業が、静岡高に勝利して優勝!
第55回大会という節目の年に広島商業が2660校の頂点に立ちました。
この大会後、金属バットの使用がされるようになったため、達川氏が準々決勝で打った本塁打が木製バットでの最後の本塁打といわれています。
広島商業1973年優勝メンバー
- 佃 正樹
- 達川光男
- 町田昌照
- 川本幸生
- 浜中清次
- 金光興二
- 大利裕二
- 大城 登
- 楠原 基
- 津村信彦
- 田所康弘
- 田代秀康
- 田所由彦
- 藤本英幸
まとめ

広島商業が1973年に優勝した時の正捕手だった達川氏が令和になって最初の甲子園決勝戦の始球式を行いました。
江川世代での甲子園優勝は格別のものがあったと思われます。
優勝時のエース佃さんに想いを寄せながらの始球式。
始球式後のコメントから佃さんへの想いが伺えます。